田中バドミントンクラブ広島

にこにこ・楽しく・笑顔で・バドミントンを楽しもう

カープ優勝ありがとう・・・

余命7日間の奇跡・・・

2カ月半前、父に告げられた余命は長くて7日間。
2日は意識があり、話しができるが、3日目からは意識がなくなり、話せないとのこと。
僕らはその言葉を信じないように、振る舞った。
その夜、病室でテレビを見ている父。
ずっと広島で育ち、カープのファン。
小さい時には、今はなくなった市民球場にも連れて行ってもらった。
初めてキャッチボールをしたのも父だった。
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2日しか話すことが出来ないと言われた3日目。
父は嬉しそうにテレビを見ていた。
強いカープが好き。勝って喜ぶ父。負けて悔しがる父。どっちも元気で、それがものすごく見ていて気持ちがよかった。
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カープのおかげで、4日、5日、6日、7日、8日とどんどん顔色が良くなり、もしかしたら治るのか…と思わせるくらい、元気を取り戻していった。

僕はこの何年間か、父と顔を合わせても、3秒と話すことをしなかった。
その父と、病室で、半日2人で話をし、1日中みんなで話をした。
本当に10年分くらい話をし、父の言葉のすべてに耳を傾けられた。

入院から8日目、次第にろれつが回らなくなり、覚悟の時が近付くことを、ここで初めて認めることになった。

次の日、いつものように病室に行き、20時の退室。この日は苦しそうだったが、テレビの音を聞きながら、いつものように、「また明日来るね」という言葉に「うん」と小さな声と軽く手を上げた。
帰りに寄ったスーパーで、母からの電話。
すぐ帰ってきてほしい・・・。
時間は20時半だった。

病院に戻り、苦しそうにしている父。
病室に戻って、40分後、父は息を引き取った。

看護師さんに身体を拭いてもらう最中、5歳の息子が、「おじいちゃん、手術がんばれ・・・」と言った。
動かない父に気付き「パパ、おじいちゃん大丈夫?」と聞くので、「おじいちゃんは天国に行っちゃったんだよ」というと、涙をポロポロこぼし、僕の胸の中で大泣きした。
それにつられて、僕も何度目かの大泣きをした。

父の最後の言葉は「68年間生きられて、オレは最高にしあわせな人生だったよ」だった。
その言葉に、僕は今も救われている。
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カープの試合を見ながら、「優勝を見る。」と病室で言っていた父。
試合で負けたときに「くそー、負けた」と言った父。
試合で勝ったときに「よし、やったー」と言った父。
「もう1度、試合を見に行く」といった父。
「日本1が見たい」といった父。

今日、それを想い出しながら、テレビを見ていました。
カープ優勝ありがとう」
心から胸が熱くなり、感謝し、感動し、嬉しさよりも「ありがとう」って思いました。

天国から父の笑顔が見えるようです。

余命7日と言われ、話せないと言われた現実。
最後まで、試合を見て、カープを応援していた父。

最後に「しあわせだった」と言った父。

人の人生は、長く生きた時間で決まるものではありません。
人の人生は、笑顔の数で決まるのだと思います。
「しあわせだったよ」ってちゃんと言葉に出来た父に、心から「かっこいい」と思いました。

人生とは・・・、それはよくわかりません。
ただ分かることは、1日1日を大切にすることだと思います。

泣いた時間が多いよりも、笑顔の時間が多いこと。
感謝する時間も、感謝される時間も多いこと。
そして、「しあわせだった」と最後に言える人生。

そんな生き方ができたらな…って思います。

田中 信雄