「楽しくバドしよう」
私は、上手く行かない時、前向きになれない時がある。
そんな時「楽しくバドしよう」ってパパの言葉が、ものすごく嫌になる。
「頑張れ」とか「こうしたらいい」とか「ここを直したらいい」とか、そういう言葉の方が楽なのに、「楽しくバドしよう」は、その時の私には、よくわからない言葉だった。
出来ることが多くなり、上手くなるにつれて、「楽しいだけじゃないバドミントン」と出逢うようになりました。
「出来なくて悔しい」とか「上手く行かなくて歯がゆい」とか「納得できない」とか、そういう気持ちになるようになりました。
全然上手く行かなくて、そんな自分にものすごく腹が立って、「楽しくバドしよう」っていうけど、「楽しくないよ」と言ってしまいました。
その時、パパはこう言いました。
「楽しくバドするのって大変でしょう」
私は「大変・・・です」と言いました。
続けてパパはこう言いました。
「出来ることも、出来ないことも、嬉しいことも、辛いことも、勝ちも、負けも、頑張るも、すべて合わせて、楽しいと思うこと、楽しいから笑顔になるんじゃなくて、笑顔でやるから楽しいこと、実は楽しいって、バドミントンが大好きって気持ちだけじゃダメなんだよ。そこに夢や目標、目的を持って・・・」
泣きそうな私の顔を見て、途中で話を止めて、「難しいことはいいや、一緒に打とうか」って言ってくれました。
私は涙をぽろっと流した後、涙を拭いて、「うん」って笑顔でいいました。
一緒に打ちながら、私が出来ていない所に打ってくれ、初めはミスしていたけど、何度もラリーする中で、一つ一つ言葉をかけてくれる中で、出来るようになりました。
「こうしなさい」なんて言わないパパ。
「こんなの出来る?」「すごいね」「出来たね」「楽しいね」としか言わないのに、なんでか出来るようになっていく私。
それにしても、楽しく打つパパ。
その楽しさにツラれてしまう私。
なんか、あんなに悩んでいたことが、この人と一緒に打つとバカらしくなります。
「上手くなりたい」「頑張らなきゃ」「出来ない」って悩んでいた私って何だったんだろう。
「もっと単純にバドミントンを楽しもう」って思います。
最後に、「試合する?」ってパパに言われたから、気分よく「うん、する」って言って後悔した私。
容赦なく遊ばれてラブゲーム。「はい、オレの勝ち」
忘れてた、この人、勝負になると、全然楽しいバドミントンなんかしてくれない。
大人げない人だった(笑)
そこからお願いして5ゲーム。
たった1点しか取れなかったけど、その1点にめっちゃ悔しがっていたパパ。
大人げなさすぎ、負けず嫌いすぎ、本当になんなんだろう。
でも、なんかすっきりしました。
「バドミントンを楽しもう」ではなく「楽しくバドミントンしよう」。
その意味が少しだけど、感じました。
いつかこの人に勝って、逆に1点取られて、めっちゃ悔しがってやる。
と心に決めた私。でした。
パパと私のバドミントン日記より
田中信雄