選手よりも指導者の方が大変でした(*^-^*)
15歳から週1で誰も教えてくれない中で、体協に誘われて通い始めました。
中学校でテニス部だったので、身体の使い方すべてが逆で、
バドミントンというものを理解するまでに2年かかりました。
今まで、スポーツで悩んだことがなかった僕からすると、
バドミントンは初めての挫折でした。
だからこそ、楽しくてやめられなかったのかもしれません。
だけど、どんなに頑張っても、中級がいいところでした。
20歳の時、夏休みに教えてと言われた小、中学生。
みんなが県のトップクラス。
負けはしなかったけど、才能の差を実感して、指導の勉強を始めました。
20歳で、コーチになったはいいですが、
選手実績があるわけではありません。
だけど、求められるのは、負けないことでした。
教え始めて、教えることに必要な練習をしていくと、
今までは出来なかったことが出来るようになりました。
何をしたかというと、「見本を見せるための練習」です。
教えるのに、我流を教えるわけにはいかない。
なん十冊も本を読み、講習会に行き、学べるものは学びました。
「見本を見せるための練習」も、2000球、3000球打つ。
それでもできなければ、10000球、20000球打つ。
見せることができるまで、練習しました。
筒をライン上に置き、見本で筒に入れられるまで、ひたすら練習しました。
筒倒しも、1球から3球くらいで確実に倒せるように、練習しました。
分かるように説明して、見せて、出来るようにしてあげる。
だけど、自分がどれだけ練習しているかは、子どもたちには感じさせない。
そこまでしていました。
例えば、教えていて、相手していて、
子どもが出来るショットも当然あります。
僕が出来ないと、次の練習までに出来るようにしていくんです。
「次の練習までに出来るようにしておくね」というんです。
そして、出来るようにしていくんです。
コーチは出来るのが当たり前なんですが、
当然、出来ないこともあります。
出来ないで終わらせず、出来るようにしていくと、
子どもたちも不思議そうな顔をするんです。
そして、講習会などを、一緒に受けた時は、
僕も子どもたちも、みんなできない所から始まります。
出来ないで諦める子を横目に、出来るまで頑張るんです。
そしてできるようになると、それを見ていた子どもたちも頑張ります。
選手が無理だと思って、指導の勉強を始めたんですが、
選手よりも指導者の方が大変でした(*^-^*)
僕は、指導者と選手の関係は、共同体だと思っています。
バドミントンをしてくれる子がいるから、
教えることができます。
僕に教わりたい子が誰もいなかったら、
僕がどんなに指導実績があったとしても、教えることは出来ません。
なので、「田中コーチ教えてください」という子がいてくれるから、
教えることができるんです。
そこの感謝は忘れないようにしています。
だから、僕は必ず「どんなバドミントンがしたい?」って聞きます。
「どんな練習がしたい?」って聞きます。
指導者と選手の関係って、どんなものがベストかは分かりませんが、
そこにお互いのなんていうかなあ、「認め合う」とか「同じ意識」とか、
上手くは言えませんが、「同じ目線」「バドミントンに対する想い」
「バドミントンに対する考え方」なんか難しいな。
「一緒にバドミントンをして有意義な時間」えーと、
「一緒にバドミントンを楽しむこと」かな。
そう「一緒にバドミントンを楽しむこと」が出来る関係が、
ベストなんだと思います。
練習って、いつも言いますが、やらされてするものではありません。
自分からやるものなんです。
そこに、シャトルを適当に返したり、マナーが悪かったり、
道具を大切にしなかったり、笑顔がなかったりすると、
お互い楽しめません。
スポーツの語源は、遊びです。
楽しくない遊びってありますか?
楽しくない遊びは、もはや遊びではありません。
楽しくないスポーツは、もはやスポーツではないんです。
もちろん、いろいろな感覚があるので、
僕みたいに、出来るまで2000球も3000球も打つことを楽しいと思う、
そんな人ばかりではないと思います。
努力も練習もしないで、出来なくて、不機嫌になる人だっています。
僕には、そういう人に気持ちは分かりません。
ごめんなさい(≧▽≦)
好きなことで、出来ないのは、
努力不足、練習不足です。
怠けている時間があるからできないんです。
逆に、出来るまでやるのは、僕みたいに才能がない人は当然のことなんです。
だって、才能ある子、才能ある人に少しでも近づくためには、
それしかないんですもの(*^-^*)
才能がある人が努力することほど怖いものはありません。
怠けてくれるとラッキーです。
あとは、「自分が1番バドミントンが好き」って思うんです。
そうするとね、誰にも負けなくないでしょう。
負けたくないから、努力するしかないでしょう、練習するしかないでしょう。
才能に勝てない、天才に勝てないと思うかもしれませんが、
その人たちよりも練習してから言うとかっこいいですよね。
僕は思うんです。
そもそも才能とか天性とか分かるのかなってね。
生まれたばかりの子で「この子はバドミントンの才能がある」ってわかりますか?
分かるわけないんです。
才能も、天性も、バドミントンに出逢い、練習してこそわかるんです。
教え子に実業団選手が何人かいますが、
申し訳ないですが、その子たちは、普通の子の何倍も練習しています。
そこまで練習しないと納得できないのってくらい、
練習しています。
それを身近で見てきましたし、それだけノックも上げてきました。
試合相手もしてきました。
それこそ、同じショットを2000球も3000球も納得できるまで、
練習します。それが、1日の練習だったりします。
それを、才能だとか、天性とかで簡単な言葉で言いますが、
どうなんでしょうね。
練習に妥協しないこと、大好きなバドミントンに妥協しないこと、
目指すもの、叶えたい夢が、あることが大切なんです。
出来なくて、悔しいんだけど、悔しがっている暇なんて、
その子たちにはないんです。
悔しくてやめられるほど、バドミントンを嫌いになれないんです。
悔しくて、妥協できる時間なんて、その子たちにはないんです。
練習あるのみ、努力あるのみ、バドミントンをするのみ。
そういう子のライバルは、昨日までの自分、さっきまでの自分なんだと思います。
だからこそ、大変なんです。
負けられないんです。
そういう子に言う言葉は一つです。
「そろそろ練習終わりにしようよ」です。
指導者の役割はいろいろありますが、
練習をやめない子の練習をやめさせるんです。
我慢させるんです。
今日はこのくらいで、また明日にしようって、なだめるんです。
僕がバドミントンをしている子に言いたいのは、
才能も天性もなくても、僕くらいならバドミントンを楽しむことができます。
そして、僕よりはみんな才能も天性もあると思うんです。
だから、1つのショットを10000本やってみましょう。
1つのショットを10000本やってみて、上手くできなかったら、
諦めてもいいと思います。
バドミントンは、基礎ショットが9つあります。
ストレート、センター、クロスを合わせると、たくさんあります。
その一つ一つを10000本ずつやってみましょう。
それで上手くなれなかったら、諦めましょう。
いろいろなバドミントンがあります。
いろいろな子、いろいろな人とバドミントンをしています。
そんな中で、誰かに当てはまる言葉があれば、
僕はいいと思います。
バドミントンが好き💕で比較したら、順位なんてつけられません。
だから、僕が1番、君が1番、あなたが1番、
誰だって1番って言っていいんです。
田中信雄