教え始めた頃、心に決めたバドミントンに対する約束・・・
本当は勝敗なんてどうでもよかった。
それが勝っていくと周りも求め、自分も求め、いつの間にか勝つことを考えるバドミントンになっていた。
「バドミントンは好きですか?」の答えに考える時期があった。そんな時、昔の保護者から「コーチの教えた子は、多くの子が今もバドミントンを続けていますよ」という言葉だった。
「練習は厳しさもあったけど、楽しさの方が多かったし、本気の楽しいを知った子たちだから、今もバドミントンやっています」だった。
そんな元教え子の保護者の方の言葉に救われるし、バドミントンが嫌いになった時には、教え子に救われます。
バドミントンって何だろう?
スポーツって何だろう?
って考えたとき、「もっと練習頑張る」とか「もっと上手くなりたい」とか「楽しい」とか、そういう気持ちを作ってあげることだと思います。
時々、忘れちゃうんですけどね。
もう一つの約束は、「好きこそものの上手なれ」です。
好きになったことは、やっぱり上手くなるものです。
好きになったり、嫌いになったりすると思います。
だけど、やっぱり好き・・・が強いから、辞められません。今も好きでいるのだと思います。
僕は、物事も人も好きになったり、嫌いになったりしてもいいと思います。
その中で、「好き」がほんの少しでもあったら、また好きになったらいいと思います。
物事も人も、出逢えたことが奇跡です。そして好きになったこと、好きになれたことは、もっと奇跡です。
それが継続して、運命になります。
運命に出逢えることは少ないかも知れません。
だけど、奇跡は結構起こっています。
バドミントンに出逢ったから逢えた人、逢えた人がいるから、バドミントンに出逢った人。それはどちらか分かりません。
でも、どちらも奇跡です。
そして、物事も人も一人では出逢えません。
きっかけがないと出逢えません。
相手がいないと出逢えません。
奇跡から始まる運命・・・
バドミントンを継続してくれていれば、その子にとって、バドミントンは運命の出逢いです。
そんな子が多いのは、とても幸せなことです。
人はみんな小さな光を持っています。
それが大きな光になるかもしれませんし、綺麗な光になるかもしれません。だけど、みんなその光を輝かせるんです。誰だって輝かせるんです。
その光が、未来へどんどん輝いていくんです。
バドミントンではないかも知れないし、バドミントンかもしれません。
それは分かりませんが、みんな光るんです。
僕は教えることを諦めたことがありません。
誰だって、始めた頃より必ず上手くなります。
上手くなったと実感します。
それも光です。
笑顔の似合わない人は一人もいません。
それと同じで、上手くならない子は一人もいません。
みんなちゃんと光を持っています。
大人が子どもの才能を諦めるとお終いです。
大人だって今から光る光があると思います。
人の才能を諦めない。
人の能力を諦めない。
人は誰でも何かの光を持っています。
運命に出逢えるまで諦めない。
笑顔の似合わない人は一人もいないのだからね。
田中 信雄