夢・・・恩師からの言葉
すげーやってみたい・・・から始めよう。
どんなことだって、これが大事(*^-^*)
見て真似る。
同じようにやってみる。
出来るまで、見て真似る。
これから始めよう。
バドミントンでは、師がいなかった。
指導を始めて、指導では、師が出来た。
僕が1番影響を受けた指導者は、
全日本でも活躍した米元のお父さんの米元コーチ。
そして、沖本などを輩出した古川監督。
米元コーチとは、広島ジュニアというクラブで、
共にコーチをしていた時、学びました。
古川監督は、原ジュニアというクラブで、
沖本がはいる前の時代に、コーチとして指導していました。
指導歴は26年。
今はありませんが、東浄ジュニアというクラブで、指導開始。
19歳とか20歳でした。
東浄ジュニア→広島ジュニア→原ジニア→東野ジュニア→田中BC広島
その他、広島県内クラブの単発での指導
安芸南高校外部コーチ、落合中学校、広島工大高のレギュラー組指導
岡山県山陽ジュニア、桜ケ丘中学校、その他練習会、合宿講師
個別バドミントン指導
ファイティングG(呉市の全国選手の練習会)指導
など、
現在は、田中BC広島を指導しています。
スポーツ指導で言えば、3歳~93歳まで、延べ2500人以上指導。
その他・・・
小谷教授、新井教授、松田先生、坂田学長など、社会スポーツ、教育方法など、
学ぶ。
独学も多いですが、実は、日本でトップレベルの先生方に学び、
親交があります。
その教えを、次世代の教え子へと伝える。
1番の恩師は、高校時代の書道の先生。
この人との出逢いが、人生を変えました。
自分にとって初めての「師匠」。
毎日が挑戦と戦いでした。
褒められない、認められない、勝てない、悔しい。
の毎日。
「もう一生懸命教えない」師匠のその言葉が、僕の心に火をつけました。
この人を一生懸命にさせる。
毎日、飽きるまで何百枚も書く。
とにかく賞をとる。
全国総合文化祭にです。
これが僕の決めたことでした。
だんだん変わる師匠・・・
僕の本気に、答えざる負えなくなってきた。
その時には、プロになることも伝えていました。
だから、本気で持っているものを全部教える(生意気)という感じでした。
こうなるまで、1年近くかかりました。
そして、師匠の心を動かせ、本気モードに(*^-^*)
オレの勝ち(やったね)
ばどみんとんでもよく耳にするんですが、
先生が教えてくれないなんていう子います。
そういう子って、きっと先生を上に見ているんです。
いい子なんです。
僕は違うんです。
尊敬はしますが、決して上には見ていません。
あわよくば超えてやろうと思っています。
だから、先生の持っている能力を全部教えてって思います。
なので、教えてくれないなんて待っていられません。
教えたい、教えさせてほしいって思わせるくらい、
頑張るんです。
ただ、僕が尊敬する先生は、壁が高い(腹立つくらい)
僕なんて、薄っぺらい壁ですよ(笑)
ただ、目標や夢は伝えます。
教えている限り、目標は、全国大会決勝でのサイドコーチ
夢は、世界大会の決勝でのサイドコーチ
そんな僕の目標や夢を叶えてくれようと頑張ってくれる、
同じ夢を見てくれる生徒が増えてくると、
叶う叶わないは別にして、練習は楽しくなります。
実をキラキラさせて、みんなで一生懸命、必死で、バドミントンを楽しむ。
そんな練習は楽しくて仕方がありません。
小学生、中学生は、そんな夢を見ながらバドミントンをすればいいと思います。
叶う叶わないが大切ではなく、そこを目指すことが大切なんです。
だって、目指さないと叶わないでしょう(*^-^*)
僕の恩師の共通点は、「夢」を持ちなさいです。
田中信雄 入力H